こどものじかん 10巻を読んだ

私屋カヲルによるロリ漫画、こどものじかん 10巻を読んだ。

ぎょう虫検査懐かしいなあ、今でも実施してるんだろうか。

10巻のメインは学校裏サイトの掲示板と子供の性教育についてかな。まず色々と社会問題となっている裏サイトだけど、学校や親の管理から離れた交流の場が子供たちの興味をひきつけるのは必然だと思う。そこで扱われる話題は普段口にできないタブーが多くなるのもまた必然で、そういうのをコントロールしようとするのは不可能に近いと思う。

もしも自分が小学生の時にインターネットがあってこういうサイトの存在を知ったらどうしただろうか。自分は体も大きくクラスでは威張ってる方だったから、クラスメートにさんざん悪口を書き込まれていたかも知れない。そして自分も誰か他の友達の悪口を書き込んだりしただろうか。子供の世界が大人の世界の縮図だとよく言われるように、大人のネット事情をみる限り、子供のネット世界だけが健全な箱庭であって欲しいと思う事じたいが甘い考えであるような気もする。

子供の性教育については私の知る限りもう何十年も前から理性的な判断力を失った大人たちによって、「性の低年齢化」が声高に叫ばれている。そのうち母親の胎内にいるうちに性行為を体験する赤ん坊がでてくるんじゃないだろうかと思うくらいだ。欲望をコントロールするための理性を教えなければならない大人が、一部を作為的に抽出して誇張されたメディアの情報や狭い世界での自分の経験のみを物差しに感情的に子供の性をとらえているうちはまともな性教育なんて期待できるはずもないだろう。少なくともワイドショーや週刊誌レベルの情報を鵜呑みにして語るべき事柄ではないと思うのだが、自分が性に対して真面目だと思い込んでいる人ほど他人の堕落は蜜の味らしい。

そして同時によく言われるが「性に関する情報が氾濫している」という事である。これについては私も事実だと思うのだが、たとえこういうのを法や制度によって規制したとしても好奇心旺盛な思春期の少年少女にこの手の情報が届かないようにするのは現実的に不可能だ。むしろ重要なのはいい加減な情報を鵜呑みにせず自分で正しい情報を取捨選択する能力を養うことだと思うのだが、前述のとおり肝心の大人の方がまったくそれができていない現状では難しいことなのかも知れない。どんな子供でも親を見て育つものだ。ワイドショーや週刊誌のいい加減な情報に流されずにきちんと判断ができる親を見て育った子供が、少年少女誌やファッション誌のいい加減な性の情報を鵜呑みにするだろうか。どんな親でも子供の事を心配しない訳はないと思うが、親が自ら手本となる事以上に子供のためになる事がいったいどこにあるのだろうか。

ずいぶん長い文章を書いてしまったが、一部の非常識な人間のせいで全体を悪くいわれる差別的な社会の理不尽さに常日頃からさらされる身のロリコンとしては、大多数の真面目な少年少女の肩を持ちたくなるというのが本音かも知れない。よく「最近の子供は甘やかされて育っている」なんていう人がいるが、子供を甘やかしてるのは親だけで、社会全体という枠でみると無関心を装いながら遠くから石を投げつけるかのような過酷な態度を子供たちにとっているような気がしてならないのだ。