手塚治虫 どろろを読んだ

手塚治虫の どろろ を読んだ。

手塚治虫は “漫画の神様” という呼び方で知られる。神様といえば完全無欠なイメージがあるが、この神様は完全どころか妙に人間味のあふれる神様である。

たとえばこの どろろ は水木しげるの妖怪漫画のヒットに触発されて、いわば嫉妬の気持ちから描いたと言われる。もとより漫画家としての自尊心が非常に高かったと言われる手塚は、墓場の鬼太郎を初めて読んだ時に自宅の階段から転げ落ちるほどの衝撃を受けたのにも関わらず、とあるパーティの席で全く面識のなかった水木に話しかけ、「あなたの絵は雑で汚いだけだ」「あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ」と言い放ったという。水木はその場では全く反論せず、のちにこの体験をもとにして「自分が世界で一番で無ければ気がすまない棺桶職人」を主人公にした短編 “一番病” を描いたといわれる。

さて神様という言葉が持つ聖人のイメージからは程遠いこの漫画の神様は、他にも似たようなエピソードがたくさんあるが、それは常に手塚が現役の漫画家として世間の評価と向き合ってたからに他ならない。この どろろ はそんな手塚にとって自分自身がかなり気に入って描けていたのにも関わらず、世間の評価がついてこずストーリーの途中で打ち切りになった屈辱的な作品でもある。いまでこそこの作品を再評価する声はあちこちに聞こえるものの、連載時の人気はいまいちどころではなかったという。しかしこれらの事を知るにつけ、私は手塚治虫が漫画家としていかに漫画に情念を燃やし続ける人であったか尊敬の念の強くせざるを得ない。

結局漫画の中ではストーリーは中途半端に終わってしまったわけだが、虫プロ製作によるアニメの方では一応ちゃんと話が終わっているらしい。だが個人的には漫画では描かれなかった部分をどうしても観たくなるほどの魅力は感じなかった。なんというか話の途中から先の読めている感じがぬぐえなくなってきたからだ。ネットでアニメ版の最後のあらすじを読んだが、「やっぱりな」というのが正直な感想だった。上の方でこの作品は現在では再評価されていると言ったが、個人的には話の設定などは今でも通用する面白さがあるものの、ストーリーの展開が終盤に向かっていくほどに単調で、当時の子供たちの素直な感想で人気がなかったというのが理解できる。妖怪の数を48体ではなく12体くらいにして3巻完結程度の作品として描けば当時としても人気が出たのではないかと個人的には思う。結局水木しげるのように魅力的な妖怪を何十体も産み出す土台が手塚には無かったという訳だ。チャレンジャー精神旺盛な神様、負けっぷりもその名に恥じない。