中二病でも恋がしたい!を観た感想

テレビアニメ、「中二病でも恋がしたい!」を観た。

私が最初この作品を知ったときは、「ああまた僕は友達が少ないのような、設定上だけはオタクで非モテな主人公の周囲に訳もなく美少女が集まるハーレムアニメなんだろうな」と思い、そしてそういうのを期待して見たわけだが、予想に反して途中から割りとシリアスな展開をみせる、正統派とはさすがに言えないもののちゃんとしたラブコメディだった。

だがそれだけに私にとっては実に期待はずれのつまらない作品だった

中二病という設定こそ目新しいものの、ヒロインの家庭に問題があるとか、それによって抱えた精神的な傷があるとか、そんなのは安物のラブコメで何度も使い果たされてる設定だ。

そしてそういうシリアスな展開となれば最初の中二病という設定は自ずとかすむ。そもそもこのヒロインは中二病というよりある種の本格的な精神病というべきだろう。最終的にはそういう深い傷とか心の病とかを、考えを改めた主人公たちが「中二病という魔法」を使って癒して、めでたし、めでたし…

ってディズニー映画かよ!!

完全なご都合主義というか、演出された幸福がそこにあるだけで何の説明もないひどい結末だ。家族の愛情では心の傷は癒えなかったが、初めてできた中二病の彼氏のおかげで心の傷は癒えましたってそりゃないだろ。いや恋人が傷を癒すというのは現実ではなくもない事だろうが、フィクションとしてまったく感動ができない。これで感動できる人は「中二病」というキーワードに共感するゆえに後の事はどうでもよくなっているんだと思う。そういう人は中二病エンド以外の終わり方だったら怒りだしているんじゃなかろうか。

ヒロインが主人公に惚れた理由、主人公を見て「自分の気持ちを押し殺して、なんでも言う事聞いている自分より、よっぽど素直でかっこいいなって」思ったとの事だが、

だとするともしも主人公がヤンキーだったら大変なところだった。ちょうど中二病と発症する年齢がかぶる事もあるが、下手をしたら六花はいまごろ金髪のレディースになっていた可能性だってある。家庭に問題を抱えた思春期の女の子が悪い男と知り合って不良になるというのは、現実でもフィクションでもよくある話だ。要するにこの作品から中二病という設定を抜かしてしまえば、それくらい安っぽいドラマしか残らないという事である。