まりあ†ほりっく あらいぶを見た

まりあ†ほりっく あらいぶのテレビアニメを見た。

なんだか第1期に比べて勢いが落ちた感じがする。それとも私の期待が大きすぎたのだろうか。いずれにせよ期待してたほどには楽しめなかった。具体的にどこが悪いという事は難しいのだが、早くもマンネリ感がでてるというか驚かされるような展開がまったくなかったのが残念だ。一応第2期のテコ入れのつもりなのか、新キャラは結構たくさんでてきたのだけど、もともとのキャラクターが個性的なメンツが揃っているせいかあまり活躍してなかったように思える。むしろ新キャラの登場や人物説明に時間が費やされるのがもったない感じがするほどで、それなら既存のキャラで話を回してた方がよっぽど面白いエピソードが作れただろう。まあここら辺は原作準拠だろうからアニメが悪いという事でもないだろうが。

新房監督も最近は総監督という形でクレジットに名前が載ることが多くなったけど、かつてのスピルバーグみたいな状況になっているのかなあ。業界の世代交代が進むのは歓迎なんだけど、それならそれでちゃんと現場で指揮を取ってる人を監督として扱って欲しい。なお副監督は石倉賢一という人らしいが、これまではコンテや演出を担当していた人らしい。

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。を見た

テレビアニメ、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」を見た。

とらドラ!のアニメ製作スタッフが集まって作ったオリジナルアニメらしいが、なるほど色々な部分で共通点があるような気がする。惜しむらくは原作の無い作品なのでスポンサーが足りないのか、全11話という短さで終盤の展開が駆け足しているように感じられた。しかしこういう風にアニメ製作者が自分たちの作りたい作品を作るというスタンスがぜひ応援したい。とらドラ!は良い作品だったが、最近ラノベ原作のアニメにも少々飽きがきていたところだ。

話は男女三人づつの仲良しグループを中心に展開する。自分が小学生の頃は男子ばかりが集まっていて遊んでいたから、この辺にはあまりリアリティは感じられないが、それでもそれぞれの人間関係は割りと丁寧に描かれていたと思う。最近のアニメではもはや暗黙の了解となりつつある主人公を安易なハーレム状態にしないところも好感が持てた。ハーレムではないといい切れるほどではないが、本来なら脇役扱いの男の友人の内面もしっかり描いている所が良い。

そして上でも言ったが、終盤の方がやはり全11話という事で駆け足で終わったなという印象を受けた。じゃあどうやって話を伸ばすのかと言われると困るのだが、話の都合上メンマを無理やり成仏させたように見えて、他のメンバーも時間がないから無理やり納得させられた感じがしたのだ。それぞれが抱える心のキズは深そうなのに、全員が一斉に泣いて心境を吐露してスッキリというのはちょっと乱暴な気がした。とくにメンマの死を目撃したぽっぽに関して、それまでなんの説明もなく最終話でいきなり本人の告白のみで終了というのはどうかと思う。

ただ良い作品だったとは思う。名作といってよいかは解らないが、こういう作品がもう少し増えて欲しいと思う。

借りぐらしのアリエッティを見た

ジブリ作品の借りぐらしのアリエッティをDVDで見た。

映画館では見なかったが、さすがジブリというか丁寧に描き込まれた映像と小人からみた人間生活の描写が見事だった。ストーリーはシンプルというか特に大きな山場があるわけでもなく、小人という設定を除けば日常生活に起きたほんの小さな事件という印象。昔のジブリ作品のように冒険やロマンがあるわけではない。逆にいうと映像が綺麗で演出は素晴らしいが、心に残る名作かというとそれほどでもなく、製作費を注ぎ込んで作られるハリウッド映画とベクトル的には変わらないような気がする。もちろん面白い作品である事は間違いないが。

個人的には子供の頃に見た “天空の城ラピュタ” のような、胸躍る冒険活劇がみたいのだが最近のジブリの方向性は違うようだ。なんとなくだがジブリ全体が “老けた” というか、多額の製作費と多くの人材を使って作品を作るだけに監督が冒険をしなくなっているのではないだろうか。アリエッティの監督は米林宏昌という30代の若い人らしいが、こういう人がもっと自分の作りたい作品を作るようでないと今後の作品にも期待が持てない。もちろんディズニーのように興行的には大成功を収めて一時的には大人気となるだろうが、数年も経てばみんな忘れているような作品ばかりになるだろう。

非常に才能豊かな素晴らしい人々なのだが宮崎駿や鈴木敏夫といった昔のジブリと現在のジブリをずっと代表してきた人々が引退しないとかつてのようなジブリにはならないんだろうなあ。それでも宮崎駿監督という名前だけで作品に期待してしまう私自身も老けたのかも知れないが。

ショーシャンクの空に を見た

1994年公開の映画、ショーシャンクの空に を見た。

この作品はどこが面白いかというのを説明するのが難しいが、多くの人が認める作品にふさわしい魅力がある。刑務所という閉ざされた世界に濃縮された人生、教養ある紳士のささやかなサクセスストーリー、そして友情と冒険譚。およそ映画に求められる要素が澄んだスープのように溶け込んでいる。決してごった煮の濃いスープではない。足りないのは恋愛要素くらいか。

この作品で一番心に残るシーンはブルックス・ヘイトレンが50年以上も刑務所で過ごした後に釈放されて、社会に適応できずに壁に「BROOKS WAS HERE(ブルックス参上)」と刻んで首を吊るシーンである。長い刑務所生活で自由の象徴である鳥を友人として過ごしてきた彼が、自分自身の自由を得た途端に社会の変化について行けずに生きていけなくなってしまう描写はとても心に突き刺さる。具体的に何かが考えさせられるわけではないが、どうしてか忘れられなくなるシーンなのだ。またジェームズ・ホイットモア氏の演技もいい。

でもこういう作品は観る人を選ぶ(より正確にはその時の精神状態を選ぶ)だろうから、へたに友人に勧めることはできないなあ。

こどものじかん 10巻を読んだ

私屋カヲルによるロリ漫画、こどものじかん 10巻を読んだ。

ぎょう虫検査懐かしいなあ、今でも実施してるんだろうか。

10巻のメインは学校裏サイトの掲示板と子供の性教育についてかな。まず色々と社会問題となっている裏サイトだけど、学校や親の管理から離れた交流の場が子供たちの興味をひきつけるのは必然だと思う。そこで扱われる話題は普段口にできないタブーが多くなるのもまた必然で、そういうのをコントロールしようとするのは不可能に近いと思う。

もしも自分が小学生の時にインターネットがあってこういうサイトの存在を知ったらどうしただろうか。自分は体も大きくクラスでは威張ってる方だったから、クラスメートにさんざん悪口を書き込まれていたかも知れない。そして自分も誰か他の友達の悪口を書き込んだりしただろうか。子供の世界が大人の世界の縮図だとよく言われるように、大人のネット事情をみる限り、子供のネット世界だけが健全な箱庭であって欲しいと思う事じたいが甘い考えであるような気もする。

子供の性教育については私の知る限りもう何十年も前から理性的な判断力を失った大人たちによって、「性の低年齢化」が声高に叫ばれている。そのうち母親の胎内にいるうちに性行為を体験する赤ん坊がでてくるんじゃないだろうかと思うくらいだ。欲望をコントロールするための理性を教えなければならない大人が、一部を作為的に抽出して誇張されたメディアの情報や狭い世界での自分の経験のみを物差しに感情的に子供の性をとらえているうちはまともな性教育なんて期待できるはずもないだろう。少なくともワイドショーや週刊誌レベルの情報を鵜呑みにして語るべき事柄ではないと思うのだが、自分が性に対して真面目だと思い込んでいる人ほど他人の堕落は蜜の味らしい。

そして同時によく言われるが「性に関する情報が氾濫している」という事である。これについては私も事実だと思うのだが、たとえこういうのを法や制度によって規制したとしても好奇心旺盛な思春期の少年少女にこの手の情報が届かないようにするのは現実的に不可能だ。むしろ重要なのはいい加減な情報を鵜呑みにせず自分で正しい情報を取捨選択する能力を養うことだと思うのだが、前述のとおり肝心の大人の方がまったくそれができていない現状では難しいことなのかも知れない。どんな子供でも親を見て育つものだ。ワイドショーや週刊誌のいい加減な情報に流されずにきちんと判断ができる親を見て育った子供が、少年少女誌やファッション誌のいい加減な性の情報を鵜呑みにするだろうか。どんな親でも子供の事を心配しない訳はないと思うが、親が自ら手本となる事以上に子供のためになる事がいったいどこにあるのだろうか。

ずいぶん長い文章を書いてしまったが、一部の非常識な人間のせいで全体を悪くいわれる差別的な社会の理不尽さに常日頃からさらされる身のロリコンとしては、大多数の真面目な少年少女の肩を持ちたくなるというのが本音かも知れない。よく「最近の子供は甘やかされて育っている」なんていう人がいるが、子供を甘やかしてるのは親だけで、社会全体という枠でみると無関心を装いながら遠くから石を投げつけるかのような過酷な態度を子供たちにとっているような気がしてならないのだ。

機動戦士ガンダム THE ORIGIN 22巻を読んだ

機動戦士ガンダム THE ORIGINの22巻を読んだ。

ア・バオア・クーの戦闘の後半、ギレンの死とアムロのガンダム vs シャアのジオングの戦いが描かれている。そして漫画版のオリジナルエピソードとして、セイラが単身でア・バオア・クー内部に潜入し、ダイクンの娘アルテイシアだと名乗ることにより、ジオン内部の反乱部隊の象徴として担ぎ上げられるというものがある。

物語のクライマックスで突如アニメにはなかった展開が挿入されることにより、私の興味はセイラのその後の展開に釘付けとなってしまった。もちろんガンダム全体の話の流れを変えてしまうような展開にはならないと解っているが、セイラの存在は政治的な話の流れに少なからず影響を与えるはずだ。

またこの作品はシャアとセイラの幼少期から描いてそれぞれの内面も丁寧に描かれているので、クライマックスに向かってこの二人の動向から目が離せない要因がさらに増えたと思われる。

怪物王女 15巻を読んだ

怪物王女の第15巻を読んだ。

令裡たち吸血鬼族の先祖かもしれないというコウモリ人間たちとの戦いがあり、姫が幽霊に体をのっとられるお話があって、リザの兄の仇であるデュケーンの館へ乗り込んだところでこの巻は終わる。この漫画はエピソードごとの時系列があいまいなので、話がシンプルなわりには筋を追うのが難しい。王位を争う戦いそのものは一本道で進んでいるようだが、合間に入る時系列不明なエピソードでそれまでの謎が解けたりまた増えたりしていつごろ話が終わるか先が見えない。

おそらく作者本人は長期にわたって続くバトル漫画のようなメインのストーリーよりも、その合間に入る少し不思議なホラーエピソードの方を描きたいのだろう。私もどちらかというと後者の方が好きなのだが、そうするとメインのストーリーに入ったときに設定を思い出すのが大変になる。特に姫の兄弟の誰が誰だったかなんて設定は一番興味がないのですぐ忘れてしまって困りものだ。

たぶん兄弟たちとの戦いが終わったところでこの作品は最終回という事になるのだと思うが、個人的にはそちらの話を短く綺麗にまとめた後で短編ホラーエピソードを長く描き続けて欲しいと思っている。

エヴァンゲリオンの大ヒット以降、漫画やアニメ業界ではシリアスな作品には最後まで隠された謎や秘密がなければならないような風潮がまかりとおっているが、私はそういうのにはもう飽きた。無駄に意味深なフラグを立てて、終盤でその回収作業に追われるくらいなら、シンプルに徹した設定を土台に独創的なエピソードを生み出してもらいたい。とても大変なことのように思えるが、藤子作品やジャンプ黄金期の名作漫画も後付けで設定が増えることはあっても、連載当初からの謎がストーリーの最後まで残ってるなんてことはなかった。むしろ最初の謎は早々と解決して、その後に続く新展開をひとつひとつ描いていくことによって長期連載を可能にしていたと思う。

いつのまにか姫の兄弟が10人くらいに増えて話がだらだらと続き、ネタも尽きかけた終盤で打ち切り同然に無理やり話をまとめて終わるなんて事にならないで欲しい。

カラフルを見た

2010年公開のアニメ映画、カラフルを見た。

一度死んだ魂が、自殺をした中学3年生の少年の体で人生をやりなおすことになるというお話。新しい体の元の持ち主の小林真は、友人もおらずクラスで孤立していて、思春期の少年だったらおよそ我慢できない事実を連続して知ってしまったが故に自殺をした。思春期の少年の自殺というテーマからもわかるように、一人の少年が別の少年の人生を客観的に見ることによって、生きるとは何かを問いかける物語となっている。

自分の思春期を思い出して色々と考えさせられる内容だった。中学生といえば自我の成長が著しく、そのうえ親に対する反抗心が芽生える時期でもある。誰もがつらい現実や厳しい世界とたった一人で立ち向かわなくてはならなくなり、ほとんどの人間が自分の生きている現実と世界に絶望する。その後、ただの仲良しとは少し違った友人や恋人をつくることにより、自分ひとりで世界と戦う必要がないこと、一人でなければこの世界もそれほど悪くはないことに気づいていつしか大人になるんだと思う。自分の殻に閉じこもっていては、世界はいつまでも自分に厳しいままだ。

おそらくはそんな事を訴えたくて作られた作品なんだと思う。実際に今一人ぼっちで世界と戦っている思春期の少年たちにその思いが届くかは解らないが、自分の昔を振り返ってそういう子供達に少しでも優しい世界を作るべきだなと思ったりもした。自分もかつては一人ぼっちで全世界を相手にしているような気分でいながら、世界の腐敗と堕落を心底嫌悪していたからだ。

大人になってそういう過去の自分を若いとか青臭いとか笑うのは簡単だが、いまこの瞬間に苦しみ悩んでいる子供達がいることを思うと彼らを笑うことはできない。この作品は思春期の少年少女達のために命の大切さやヒューマニズムを押し付けるものではなく、かつて思春期を過ごした大人たちに当時の自分を思い出させるための作品なのではないかと思う。

プラネテスを読んだ

幸村誠によるSF漫画、プラネテスを読んだ。

いつか自分の宇宙船を買うことを夢みて宇宙に漂うスペースデブリを回収する仕事に携わる若者達の物語。宇宙を舞台にした冒険ものかと思ったら、宇宙や人間や人生や愛を問いかけるとても哲学的な作品だった。

真っ暗な宇宙空間を背景に自分の存在意義を問いかける描写はかなり秀逸で、人生にストレスを感じていたりちょっと疲れていたりすると主人公のハチとかなりの割合で共感して自分の人生や生き方を考えさせられることだろう。逆にまったく共感できなくてむしろ気持ち悪いとまで感じる人は、ほとんど何も悩まずに人生送っている幸福な人なんじゃないかと思う。

自分の場合はそこそこに共感してそこそこに楽しめたが、これがもうちょっと若い頃だったらまさに涙があふれんばかりに感動したと思う。いい加減年をくって達観したのか不感症になったのかは知らないが、ハチに共感している自分がいると同時に客観的に冷めた目で見ている自分もいた。

アニメ化もされているみたいでそちらもさぞかし名作なんだろうと思うが、いまいち見たいという気持ちが沸いてこない。きっともう私はいい感じに年をくっているのと同時、いい感じに幸福な人間なんだろう。もっと気楽に何も考えずに見られる娯楽作品を見るのが今の自分には丁度良い。

あずまんが大王を見た

日常系萌えアニメのはしりである、あずまんが大王をひさしぶりに見た。

最近ではすっかりひとつのジャンルとして定着しつつある日常系萌えアニメだが、私はやっぱりあずまんが大王が一番面白い、というか思いいれがある。他の作品とどう違うのかと問われても上手く説明はできないのだが、あずまきよひこ氏のセンスというか間の取り方というか、とにかく他の作品にはない良さがあると思う。

錦織博監督によるアニメの演出や声優さん達の演技も素晴らしく、下手すれば退屈になりがちなまったりとした世界観を、やはり間を上手く使うことによって面白くしていると思う。

ついでにいうと私は主役のちよちゃんを演じる金田朋子のファンである。カネトモの出世作であるこの作品でその名を知ってネットラジオ等を聞くようになり、いまではちよちゃん役の演技とラジオでのキャラクターのギャップがすでに可笑しくて笑えるまでになった。

いまは同じあずまきよひこ氏の “よつばと!” が早くアニメ化されないかと待ち遠しい、もちろん声優はカネトモでお願いしたい。