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キューブゼロを見た

キューブ2を見てから少し間があいたが、キューブ三部作の最終章であるキューブゼロを見た。

この作品は第一作であるキューブよりも時系列的には過去のお話らしいが、そういう事は関係なしにこれまでのキューブで感じたような恐怖感が感じられない作品だった。

この手の三部作では大抵設定に飽きが来て、三作目がつまらないというのが定番なのだが、それに輪をかけて駄作臭の強い作品だった。過去という設定にあぐらを書いてギミックや演出が安っぽくなっていて、肝心のストーリーにも別に特筆すべきところは無い。無難にまとめようとして、無難にすらなってないという失敗をした感がある。キューブシリーズのカルト的なファンならこの作品を絶賛する人もいるかも知れないが、その他一般の映画ファンには見る価値はないだろう。

キューブ2を見た

前回に続いて、続編であるキューブ2を見た。

どうやら私が過去に気に入って何度もレンタルで借りて見たのはこのキューブ2の方だったみたい。しかし本当に久しぶりに見たので細部の記憶がかなり曖昧になっていて、初見のように楽しめた。

続編であるこの作品は前回見たオリジナルと監督が違うようだが、はっきり言ってこちらの方が映像がみやすい。前回の作品はストーリーの発想こそ天才的だったと思うが、映像が全体的に暗くみにくかった。

明日は三部作の最後の作品、キューブゼロを見る予定だ。時間軸としては第一作の前の話みたいだが、楽しみである。

映画 キューブを見た

1997年というから結構昔の映画になるが、キューブを見た。

いつごろ見たのかよく覚えていないが、この作品の続編や類似作品をレンタルで借りて何度かみたので、実は今回見たこの一番最初のオリジナルを見てなかった(あるいはほとんど覚えていない)事に気づかされた。私がはまって何度も見たキューブはどのキューブだったのだろうか。ストーリーはほぼ同じなのだが登場人物が少し違うような気がする。ハリウッドのリメイクとかを見たのかも知れない。ちょっと気になったので続編の2作品も続けて見るつもりだ。

しかしやっぱり面白い。ついつい自分がこんな場所に閉じ込められたらすぐにパニック起こして死ぬんだろうなあ、とか考えてしまう。他にはたとえば自分以外の人間が全員女の子とかだったら、はりきってリーダーシップを発揮しようとして、やっぱりすぐに死ぬと思う。いずれにせよ生き延びれる気がしない。

ちなみに今回は字幕などは使わず英語音声のみで見た。途中数学的な謎解きをしている場面は少し解り難かったが、まあ普通にみれたと思う。

お金がない! を観た

15年ほど前の作品になるが織田祐二主演のテレビドラマ、お金がない!を観た。

私は基本的にはテレビドラマを観る事はあまりないのだが、たまにはこういうのを観るのも良いと思う。アニメはアニメなりの良さがあってドラマでは表現できない作品も数多くあるが、実写には実写ならではの良さがある。特にこの手のサクセスストーリーは、実写で生きた人間が演じた方が感情移入ができる。漫画にも島耕作とかサラリーマン金太郎とかサクセスストーリーの名作があるが、やはりドラマで観た方が面白いだろう。

この作品はなんとなくマイケル・J・フォックスの「摩天楼はバラ色に」というハリウッド映画によく似ている。もちろんストーリーには日本的なアレンジがされているが、この作品を意識して作られた事は間違いないように思われる。

最近ずっとアニメばかり観ていたので、昔観て面白かったドラマをもう一度観たり、まだ観ていない名作を観てみるのもいいかも知れない。そういえば日本のドラマだけでなく海外のドラマでも面白そうだと思いながらもまだ観ていない作品がたくさんある。しばらくアニメから離れてみるのもいいかも知れない。

映画 ロリータを観た

ナボコフによる原作を読んだ後で、1997年発表のエイドリアン・ライン監督による映画「ロリータ」を観た。

まず最初に言及せねばならないのはロリータ役のドミニク・スウェインだろう。彼女の演技は悪くなかったし、原作のロリータの持つ「下品で生意気な」雰囲気を上手くだしていたと思う。しかしいかんせん原作のロリータの12歳という設定とドミニクの当時の実年齢の15歳との間の差はいかんともしがたかった。実際に12歳の少女にこの映画にあるような性的なシーンを演じさせるわけにはいかないだろうが、そこら辺は直接的でない表現を用いてもいいからロリータ役の少女の年齢にこそこだわって欲しかったと思う。この作品はポルノ的な描写を売りにしているわけではないのだ。ハンバート氏いわく「ニンフェット」の蟲惑的な魅力を描く事の方が大事だろう。確かに一般的な世の男性にとっては15歳というだけで十分衝撃的だとは思うが、原作を読んだ後では思い描くロリータとは違う印象を受けざるを得ない。

それに対してハンバート役のジェレミー・アイアンズはハマリ役だと思う。物語が進むにしたがって次第にハンバートの精神が病んでいく過程の演技は良かった。時間的な制約からくる演出に多少の不満はあったが、そこら辺は仕方がないだろう。

最も良かった点は映像という形になる事によって、作品が描く当時のアメリカの風景が自分の頭のイメージと結びついた事だ。もともとナボコフの文章は訳文で読んでもいささか難解というか想像力を総動員しないと情景を思い描きにくい部分があったが、原作の文章を思い出しながら映像を見ると脳内のイメージとぴたりとはまった。おそらくこの後でもう一度原作を読み返すと、よりナボコフが描いたロリータの世界が鮮明に私の頭の中で再現されるはずだ。ただしその時はドミニク・スウェインの演じるロリータのイメージは頭から排除せねばならない。

アリス・イン・ワンダーランドを観た

ティム・バートン監督のアリス・イン・ワンダーランドをブルーレイで観た。

さすがティム・バートンというべきか、ディズニーのスタッフも協力しただろうがこの手のファンタジー世界を描かせたら今のところ右にでるものはいないのではないだろうか。基本的にファンタジー世界を描くのは実写よりアニメの方が表現力が勝っていると思っている私も、ティムバートン監督の映像美には納得させられざるを得ない。

ただこの映画の主演は知名度からジョニー・デップとなっているが、今作では彼の演技は特に活きていないような気がする。ティム・バートンとジョニー・デップのコンビなら売れるだろうという感じで配役が決まった感じがして、マッドハッターがジョニー・デップである必要性が感じられないのが残念な所だ。彼の個性的な演技は、もうちょっと別の形で見たいと思う。

さらに残念なところは、主役ともいうべきアリスが成長して19歳になっている所だ。この作品的にはあえてそうしたのだと思うが、きっと原作者のルイス・キャロルは成長したアリスなど認めないだろう。ちなみにルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは性的嗜好については議論の余地があるが、ともかく「幼い少女がとても好き」な人物で、ヌードを含む多数の少女の写真を撮影して写真家としても後世に影響力を及ぼした人物である。そして “不思議の国のアリス” はそんなドジソンが仲良くしていたリデル一家の三姉妹の次女、アリス・プレザンス・リデル(10歳)をモデルにして彼女達に即興で語って聞かせた話がもとになっている。

アリスは幻想世界の少女でなければならないのだ。しかし今作ではアリスが19歳である事によって、幻想の世界は打ち壊されて現実の世界が幻想に勝る結末を迎える。精神的にも大人になったアリスは、現実に向き合い現実世界での新しい冒険に出る所でストーリーは終わっている。なんてありがちな結末!なんてどうでもいいハッピーエンド! さすがディズニー、原作の世界観をぶち壊す事にかけては並ぶものはいない!!

まあ残念ながらハリウッドの限界が見えた作品だとも思う。せっかく素晴らしい技術力で幻想の世界をスクリーンに再現するというのに、幻想のなんたるかを理解せず大人の現実世界をわざわざ持ち込む意味が解らない。行動的な女性を主役にした物語を描きたかったら他の作品でやればいいのだ。どうせ終わりはどれも同じような感じになるのだから。

チャーリーとチョコレート工場を観た

DVDでチャーリーとチョコレート工場を観た。

なんというかティム・バートンらしい映画だと思った。しかしこの映画には “チョコレート工場の秘密” という原作児童文学小説があるらしい。

そして児童文学らしく解りやすい、良い子はとても良い子で悪い子はとても悪い子。それぞれの運命も、良い子は幸せになって悪い子は不幸になる。ハリーポッターの時にも思ったが、日本の児童文学には無い良く言えば解りやすく悪く言えば非情な勧善懲悪のパターンが西洋の児童文学にはある。しかしこの手のストーリーを教育的な観点から見るのは間違いで、解りやすさが面白さを生んでいるのだと思う、それ以上でもそれ以下でもない。実際には時代劇にもあるように、日本人も解りやすい物語が好きなはずだが、最近の子供向けの作品はやたら小難しく高尚な作品のように思える。

あと映画を観ている時にはCGだと思っていた膨大なチョコレートが、実物だと知って大変驚いた。あれだけ大量のチョコレートを用意するのはとても大変だっただろう。実際撮影の途中から腐り始めたらしく、異臭が強烈だったらしい。この辺も日本の作品だと食べ物を粗末にするなとクレームが付くところかも知れない。そういう考え方自体には賛同するが、創作する側がそれを気にする必要は無いと思う。そういうのを観て不快になる人は、観なければいいだけだ。

その他にもCGだと思っていたクルミを割るリス達も、実際に訓練された生きたリスらしい。さすがに少女に群がって穴に落とすシーンはCGだと思うが、それでも驚かされた。ただチョコレートもリスも創作者のこだわりとしては有りだと思うが、観ている方はまったく区別が付かないので、ちょっと自己満足的な感じもする。せめてこうやって話のネタになるくらいか。そういうのも含めてエンターテイメントと言うならば、良作だと思う。

シザーハンズを観た

かなり以前に観た事があるが、久しぶりにシザーハンズを観た。

人造人間というアイデアはフランケンシュタインの怪物の影響だと思うんだけど、両手がはさみって発想がすごいと思う。何気にこの映画の前にフランケンウィニーっていうフランケンシュタインをモチーフにした映画を撮っているから、その時からこの作品の構想はあったんだろうか。

あとは主演のジョニー・デップが若い。監督のティム・バートンいわく「箸にも棒にもかからない程に下手な役者」であると同時に、「自分の枠を突き破ろうとする意欲のある役者」だったらしい。

画像はエドワードが植木を刈り込んで人の形を作ってるところだが、野暮な事を言えば足元まで葉が生える植木は無い。ファンタジー作品でこういう所に突っ込みを入れるのはよくないのだが、やはりどうしても気になってしまった。ファンタジー作品は夢を見させてくれるものだと思うのだが、大人になるとちょっとした事が気になって夢から覚めてしまうのはとても残念に思う。

アバターを観た

Blu-rayでアバターを観た。

とにかく映像が綺麗、Blu-rayだって事もあるけど、CGがほとんど違和感を感じないレベルに達していてびっくりした。たぶん人間をCGでまったく違和感なしに表現するのはまだ難しいんだろうけど、異星人であるナヴィのCGは映画中でまったく気にならなかった。いまならまだ「やっぱりCGは駄目だね」なんていえるかも知れないけど、10年後くらいには肉眼ではCGと人間の役者の区別がつかなくなってるかも知れない、コストの問題さえクリアされればこれからもどんどんこういったCG作品が増えるだろう。

ストーリーとしてはありがちなハリウッド的勧善懲悪もの、でも壮大なスケールにふさわしい映像のおかげでそれがぴたりとはまる。ひさびさに娯楽映画らしい映画が観れた。

隠し砦の三悪人を観た

前回にひきつづき、黒澤監督の「隠し砦の三悪人」を観た。

この作品はジョージ・ルーカスがスターウォーズの着想を得た作品として有名らしい。特に冒頭シーンやラストシーンが似ている事と、レイア姫の男勝りな性格や C-3POとR2-D2 のキャラクター設定などもこの作品を参考にしているらしい。そう言われて観てみると、スターウォーズファンの私はなるほどと思える。時代劇とSF作品という違いはあるけれど、なんとなく同じ匂いは確かに感じる。前回の七人の侍や羅生門を観て、黒澤監督がジョージ・ルーカスやスピルバーグに大きな影響を与えたという事がようやく解りかけてきた。ついでに言うと北野武は影響なんてレベルじゃなく、黒澤監督の模倣に近いような気がする。

この作品は七人の侍のようなチャンバラシーンは少ないが、珍しい槍同士の決闘シーンがあった。刀での決闘とは違って間合いが大きく、どちらかというと地味なシーンだという印象を受けた。しかしもし戦国時代の武将が決闘するとしたら、やっぱり刀よりは槍だったろうと思う。刀が現在考えられているように重要になるのは江戸時代に入って平和が訪れた後の事だからだ。多数と多数が戦う戦場では刀など役に立たない。戦国武将がまず重んじる武芸はまず弓で次に馬、そして槍である。まあ集団戦で威力を発揮する槍で決闘をするのはどうかという問題もあるが、特に決闘する必然性もなく挿入されたシーンのように思えるので細部にこだわる必要も無いだろう。