屍鬼を見た

屍鬼(しき)のアニメを見た。

ネタバレとかそういうのを考慮せずに言えばぶっちゃけ吸血鬼のお話である。ただ舞台が都会から切り離された日本の村落という点に面白みがあるだろう。

話の最重要テーマである屍鬼だがほとんど一般的な吸血鬼と変わった部分は無い。むしろ我々が思い描く吸血鬼よりも弱く、そして頭も悪い。なにしろ普通の人間に対するアドバンテージは多少人間よりも体が丈夫というだけで、力が強いわけでもなく、飢えれば死ぬし、太陽には弱いし、呪術にも弱い。実際村人に正体がばれたらあっとういまに狩り尽くされている。そんな脆弱な集団を率いているのに関わらずリーダー各の吸血鬼たちは正体がばれる事に対して危機感が希薄だ。

「沙子は最後の詰めが難しいと言うけどね」…。詰めどころではなく、圧倒的に戦力が足りないので計画が最初から破綻しているのだ。せめて正体をさぐるような人物がいたら決して敵対しないように直ちに火葬して葬るくらいの事をすべきだと思う。屍鬼たちのボスであり、一応慎重だと描写がされる沙子でさえこれほど呑気なのだ。バカな王様に従わなければならない一般の屍鬼たちが哀れにさえ思えてくる。せめて彼らのうち何人かが主人を見捨てて生き延びていないかと期待してしまうほどだ。だが生き延びたのは呑気なバカ殿の沙子と自己中な坊主だけという理不尽な結末が待っていた。

まあ沙子にも同情の余地がある、普通の人間ならば耐えられない境遇に翻弄されて、まともな知識も経験を得る機会も与えられなかったのだ。そして生きるためならば何をしてもいいのだという結論を得ながらも罪の意識に苦悩している。100年以上も生きているのに中二病ですかと問い詰めたくなるが、見た目がかわいらしい少女なので許そう。お話の流れは彼女の心よりもシンプルで、生きるために人を殺す沙子たちを、村の人々は自分たちが生きるために殺す。そしてより力の強いものが生き残るというまったくフェアな結末が待っている。

そういう感じなので、尾崎先生や夏野が屍鬼の正体を探っている段階が一番面白く、屍鬼の正体がばれた後はグロ描写と屍鬼たちの意外な脆弱さで衝撃的ではあるが面白さは半減したように思う。普段はおとなしい村人たちが暴徒と化して屍鬼たちを狩る描写はある意味この作品のキモなんだと思うのだが、それよりも屍鬼たちのあっけない程のふがいなさの方が気になって感情移入がしずらかった。というよりほとんど抵抗らしい抵抗をしておらず、逃げようとする者達すらほとんどいないくらいなのである。この辺をもうちょっと丁寧に描いてくれたらかなり面白い作品となっていただろうと思うだけに残念だ。

荒川アンダーザブリッジ×ブリッジを観た

第一期アニメに引き続き、荒川アンダーザブリッジの第二期アニメを観た。

やっぱり第二期もなかなか良かった。最初金星へ行くとかニノの過去とかでシリアス展開するかと思ったが、ギャグ路線を突き進んでくれて安心した。前も言ったが各キャラクターの過去とか興味ないので、ありがちなシリアス展開だけは勘弁してもらいたかったのだ。アマゾネスとかSFオタクとか新キャラもでてきたが、ちょっと蛇足感はあったかも知れない。

だがアマゾネスに嫉妬するニノは可愛らしかった。その感情をうまく表現できないという描写もちょうど良かったと思う。これ以上萌えキャラ化するとつまらなくなりそうだが、じわじわと人間としての感情を育てていく感じがとてもよいと思う。

アニメを観てかなりこの作品が気に入ったので、原作の漫画も近いうちに読んでみたいと思う。

荒川アンダーザブリッジを観た

そろそろ第二期のアニメが終わった頃だが、第二期をまとめて観る前に第一期アニメを見返してみた。

最近シャフトが製作するアニメが面白い。左の画像は選択がまずかったが、絵も綺麗だし何より色使いが良いし、その他の画面の演出や声優さんの早セリフによる突っ込みも良い。ちょっと前だと化物語とかまりあ†ほりっくとか、シャフトというか新房昭之監督の手腕なのかも知れないがとにかく大好きだ。個人的にこの監督は今後もチェックしたい。

そんなわけで作品の方はというと、ナンセンスギャグアニメですな。とにかく非常識な住人を相手に、これまた非常識なくらい常識に凝り固まった男が突っ込みをいれまくるというのがほとんどのパターン。後半になると主人公の父親が河川敷を買収しようとして少しシリアス展開をするが、正直蛇足だと思う。シリアスそのものは別に悪くないのだけど、「あの普段おちゃらけてる住人は、実は凄い人だった」みたいなありがちすぎる展開は正直萎える。そういうありきたりな着地をさせない方が荒川河川敷の住人たちは良かったと思う。村長以外のキャラクター達もそれぞれに色々あるのだろうが、別に彼らの重い過去とか知りたくも無いので二期がそういう方向になってないといいなあ。

これから録りためた第二期アニメを観るのが楽しみだ。

おとぎの国のいちごヒロイン童話集+を読んだ

松林悟によるセクハラロリコン漫画、おとぎの国のいちごヒロイン童話集+(プラス)を読んだ。

表紙はこんなに可愛らしいのに中身はいろいろと酷い(笑)

どんな風に酷いかというと松林悟氏の作風どおり幼女にとにかくセクハラをする。氏の代表作のロリコンフェニックスを知らない人は、ニニンがシノブ伝とかを思い出してもらえればよいだろう。幼女たちは表紙にある赤ずきんちゃんをはじめ、童話やおとぎ話でおなじみのキャラクターたち。浦島太郎なんかは浦島花子と名前を変えて幼女化されている。

ネタはとにかく下世話なのでそういうのが好きな人は楽しめるだろう、いわゆる紳士のたしなみというやつだ。

リトル・リトルを読んだ

ろくこによる漫画、リトル・リトルを読んだ。

この漫画にはほとんどセリフが無い。あらすじとしては、病弱で友達のできないお嬢様のところにキツネの少女が遊びに来て仲良くなる。まあそんな二人の交流を描いたハートウォーミングなお話だ。

しかしセリフ無しとは思い切った事をしたと思う。厳密にいうとまったくゼロではないのだが、ほんとうにごく一部のみである。というよりそのセリフを際立たせるための演出として他のセリフが描かれてないのだと思う。そのセリフとやらがなんなのかは読んで確かめてもらたいが、まあそれほど大したセリフでもないのであまり期待しないように。

しかし久しぶりにこんな少女趣味の漫画を読んだな。たまにはいいと思う。

機動戦士Vガンダムを観た

機動戦士Vガンダムのアニメを観た。

私がガンダムシリーズでこれまでに観た事あるのは、いわゆるファーストガンダム、Zガンダム、ガンダムZZと逆襲のシャアのみだった。このうち子供の頃に観たのはファーストガンダムの再放送で、要するにそれほどガンダムファンでも無い。だけどどんどん続いていくガンダムシリーズは少し気になっていたので、観たことの無いガンダムシリーズにもちょっと手をだしてみようと思ったのだ。

正直な感想からいうと「ちょっと期待はずれだった」。このVガンダムは、ファーストガンダムなどの宇宙世紀の未来を描いたもので一応つながりはあるらしいが、まったく関連人物は出てこない。それはいいのだがその間を埋める歴史の流れの説明くらいあってもよかったんじゃないかと思う。まあ今後の作品をつくるうえでの矛盾となってはまずいからあえて何も言及してないんだろうけど、それだけいきあたりばったりな発想で作っているという事でもあるだろう。

期待はずれだった理由のもう一つは、この作品が他のクリエイター達から評価が高いというのを読んだからだ。例えばエヴァの庵野監督がこの作品のファンだというのは有名らしい。またウィキペディアなんかでは宗教などの難解なテーマが子供たちから受け入れられず比較的年齢の高い層に受けたなんて書いてあるので、さぞかし考えさせられる様なテーマがちりばめられているのだろうと思ったら特に大した事は無かった。設定として宗教がでてきてマリア主義なんて言葉を使っても特にそれを掘り下げるような描写が無いのだ。かと思えばクライマックスではヒロインのシャクティがエンジェル・ハィロゥの中で思春期まるだしの演説をぶっているし。こういうのは難解なんじゃなくて中身が無いと言うんだと思う。

放送当時の子供たちに人気が出なかった理由は別にあるんじゃないかなあ。

ロリコンサーガを読んだ

和六里ハルによる漫画、ロリコンサーガを読んだ。

まったくなんてタイトルなんだと思うが、べつにエッチな描写とかがあるわけではない。なぜか全ての女性の外見がロリータという街で悪のロリコンからロリータを守るために、これまたロリータが戦うというのが大筋である。まあぶっちゃけバカ漫画ですな。そんなバカ漫画に私が引かれたのは私がロリコンだからだが、設定としてはともかく登場するロリータ達がたいして可愛くないのが残念だった。

面白くないのかといえば面白い部分もあるのだが、上述の設定以上に面白いってほどじゃあない。設定上ロリータがたくさん登場するが、それほど可愛いわけでもない。まったくもって中途半端な作品だが、ロリコンとしてタイトルに “ロリコン” を冠する作品を読まずにはいられなかったという訳だ。一応他のロリコンに忠告しておくが、この作品に何かを期待すると裏切られるので注意して欲しい。

よつばと! 10巻を読んだ

よつばと!の第10巻を読んだ。

相変わらず よつば はかわいく何を考えているのか解らないが、正直他のキャラクター達も何を考えているのか解らない。このありそうでありえない日常を描いた作風はあずまきよひこならではのものだろう。

しかし よつば は周りの人間に愛されていて良いねえ。そして よつば も、周りの人間が大好きな感じが見ていてほほえましい。でもたぶん自分も小さい頃はこうだったんだと思うと、少し寂しいというか今の自分を考え直してしまう。あんまりはっきりと覚えてはいないが、自分も小さい頃は周りの大人や年上のお兄さんお姉さんに可愛がってもらっていたのだ。自分の場合は多少苦手な大人もいたが、やはり周囲の人間が好きだったと思う。いまじゃ挨拶や義理の付き合いはするが、特に親しい人以外は無関心というか互いに不干渉であるのが普通になってしまった。そういうところは小さい子供って強いよね。

月下の棋士を読んだ

能條純一による将棋漫画、月下の棋士を読んだ。

ジャンプの囲碁漫画であるヒカルの碁と比べると絵とかセリフ回しとかやはり年齢は高めに設定されているように思われるが、正直なところ自分にはあんまり違っているようには思えなかった。

もちろん描かれる人間ドラマ的な部分はかなり大人向けに作られているのだが、対局中に将棋とはまったく関係の無い個人的な会話をするという表現手法が途中から陳腐化して、子供だましのお涙頂戴ドラマに思えたからだ。自分は多少将棋を打てる程度の素人だが、もっと将棋の棋譜に絡めて心理描写をするべきだったと思う。登場する棋士達の人間模様も、いきなり精神的にいっちゃってるキャラクターが次から次へと登場するのでそれらの人物から鬼気迫る感じがしてこない。中学生が考えるストーリーでいきなり最初に最強の敵がでてきて、あとの敵がみんな雑魚に見えるような感じだ。

辛辣な表現を用いると、この作品が将棋漫画である必要性を感じないのだ。将棋のうんちくを知ることができるという点は良かったのだが、作者がそれをストーリーに活かしきれてないように思えた。

手塚治虫 どろろを読んだ

手塚治虫の どろろ を読んだ。

手塚治虫は “漫画の神様” という呼び方で知られる。神様といえば完全無欠なイメージがあるが、この神様は完全どころか妙に人間味のあふれる神様である。

たとえばこの どろろ は水木しげるの妖怪漫画のヒットに触発されて、いわば嫉妬の気持ちから描いたと言われる。もとより漫画家としての自尊心が非常に高かったと言われる手塚は、墓場の鬼太郎を初めて読んだ時に自宅の階段から転げ落ちるほどの衝撃を受けたのにも関わらず、とあるパーティの席で全く面識のなかった水木に話しかけ、「あなたの絵は雑で汚いだけだ」「あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ」と言い放ったという。水木はその場では全く反論せず、のちにこの体験をもとにして「自分が世界で一番で無ければ気がすまない棺桶職人」を主人公にした短編 “一番病” を描いたといわれる。

さて神様という言葉が持つ聖人のイメージからは程遠いこの漫画の神様は、他にも似たようなエピソードがたくさんあるが、それは常に手塚が現役の漫画家として世間の評価と向き合ってたからに他ならない。この どろろ はそんな手塚にとって自分自身がかなり気に入って描けていたのにも関わらず、世間の評価がついてこずストーリーの途中で打ち切りになった屈辱的な作品でもある。いまでこそこの作品を再評価する声はあちこちに聞こえるものの、連載時の人気はいまいちどころではなかったという。しかしこれらの事を知るにつけ、私は手塚治虫が漫画家としていかに漫画に情念を燃やし続ける人であったか尊敬の念の強くせざるを得ない。

結局漫画の中ではストーリーは中途半端に終わってしまったわけだが、虫プロ製作によるアニメの方では一応ちゃんと話が終わっているらしい。だが個人的には漫画では描かれなかった部分をどうしても観たくなるほどの魅力は感じなかった。なんというか話の途中から先の読めている感じがぬぐえなくなってきたからだ。ネットでアニメ版の最後のあらすじを読んだが、「やっぱりな」というのが正直な感想だった。上の方でこの作品は現在では再評価されていると言ったが、個人的には話の設定などは今でも通用する面白さがあるものの、ストーリーの展開が終盤に向かっていくほどに単調で、当時の子供たちの素直な感想で人気がなかったというのが理解できる。妖怪の数を48体ではなく12体くらいにして3巻完結程度の作品として描けば当時としても人気が出たのではないかと個人的には思う。結局水木しげるのように魅力的な妖怪を何十体も産み出す土台が手塚には無かったという訳だ。チャレンジャー精神旺盛な神様、負けっぷりもその名に恥じない。