ナボコフ ロリータを読んだ

ロリータ・コンプレックス、あるいはロリコンの語源となったウラジーミル・ナボコフの小説、ロリータを読んだ。

読んでいる途中から、そして読み終わった現在も、私はこの作品がなぜ “ロリータ・コンプレックス” という言葉を産み出したのか心底納得すると共に、その言葉が現在持つある意味軽いイメージをすっかり改める事となった。

この作品の主人公である文学者ハンバート・ハンバートは、世の人がロリコンという言葉から受けるイメージからかけ離れて知的な紳士であり(ネットスラングのロリコン紳士ではない)、そして深刻なまでに心を病んでいる。ロリータとの出会いから、彼女を遠くから見つめているだけの間はまだ単なる文学者らしく気弱なロマンチストともいえる風であったのが、彼女の肉体をひとたび手に入れてからは途端に自らの暴力的なエゴイズムを発揮して、同時に精神を病んでいく。

ロリータに恋焦がれていた時にはまだ詩的な表現で禁忌の恋に身悶える彼に同情もできたが、彼女を手にいれた後の自分の欲望のままに支配し独占しようとするハンバートはまさに暴君で、読んでいて嫌悪感を感じない人はあまりいないだろう。しかしハンバートが自虐をこめて表現するところの「ペット」でも「子供奴隷」でもないロリータは、当たり前ながら自由を要求してハンバートと対立する。ハンバートはその要求を時にはなだめ、時にはすかしている内に嫉妬の炎で脳髄を焦がし、どんどん現実世界から乖離していく。物語が終盤にさしかかるとあくまで紳士的な態度を保とうとするハンバートの文体にも関わらず、もはや何が現実で何が虚構であるのか区別がつかなくなる。実際に逃亡したロリータが遠くの町で結婚して妊娠までしているという手紙が届いてから起きた三日間の記録は、ハンバートの妄想が生み出した虚構ではないかという議論があるという。

現在ではさまざまなメディアで安易に口にされるロリータ・コンプレックスという言葉は、本来この作品のハンバートのような人物に捧げられるべき名称だったのだ。この作品を読み終えた後で私がハンバートに対して抱いた感想は、共感でも嫌悪でもなく、哀れみである。